まず最初に


私は17歳の秋から不登校になり、診断として「うつ病」と言われました。

そこからが私の「うつ病」との辛い日々でした。

そこには私の“病気”と“恋愛”が大きく関わっていました。

そして、そこから今の私への軌跡でもあります。

私の少し長いプロフィールをお付き合いしていただけると、嬉しいです。

 

カウンセラーになろうと思った瞬間


私は元々カウンセラーになりたいと思って、心理を始めたわけではありませんでした。

私は17歳からうつ病と診断され、その頃から生きていることに絶望をしていました。

ただ藁にも縋る思いで、この心理に入りました。

変われたら、私は生きたいと思えるのだろうか?

 

そんな私がこのインナーチェンジングセラピーに出会い、ある日のことです。

とても大切なカウンセリングをしました。

絶望だった私が、ある問題と向き合い、自分の力で乗り越えました。

終わった瞬間、感動して、涙が止まらないカウンセリングでした。

そこで初めて、諦めなければ、人は変われることを知りました。

それは紛れもなく、誰かがしてくれたのではなく、自分の力でした。

私も苦しんでる人のお手伝いをしたい。

その思いから、私はカウンセラーになろうと思いました。

 

そんな私が、あなたのお手伝いができれば、とても嬉しいです。

 

私はどんな過去があったのか


もしかしたら、あなたにとって苦しい話かもしれません。

もしかしたら、あなたにとってなんてことない話かもしれません。

でも、私はあなたに少しでも、この人なら話してもいいかもしれない。

そう思っていただけたらと思っています。

最後まで読んでみて、少しでもあなたにきっかけができるのであれば、とても嬉しいです。

 

とても大切なカウンセリングの中身のある問題とは?


私は自分では気が付いていなかった、大きな問題がありました。

それは、17歳の時に付き合った時の彼との問題でした。

付き合い始めの頃はよかったんですが、どんどん付き合っていく中で問題が生じ、それがきっかけで学校にも行くことが困難になりました。

私からすれば、もう終わった出来事だと思っていました。

でも、本当は私の中でとても大きな傷として残っていたのです。

 

もう別れたから。

もう新しい彼ができたから。

もう大丈夫。

 

そう思っていたけれど、本当は違ったんです。

誰にも言えなかった。

これは終わったことなのだからと、自分の心の奥深くに閉まいました。

 

恋愛が上手くいかない


誰かと付き合っても、上手くいかない。

すぐ別れてしまう。

そもそも私は本当にその人が好きなのだろうか?

でも、一人では居られない。

家族がいても、孤独が消えませんでした。

SNSもやめられない。

どうしてだろう?と、悩み続ける日々でした。

 

私は決して素敵な恋愛と呼べるものをしたことがなかったんです。

どうして、この人を好きになるんだろう?

周りはこんなに心配をしてくれているのに、私はどうしても一人でいることが耐えられませんでした。

友達もいるのに、私は恋愛に対して依存的だったんです。

 

うつ病と恋愛には、家族との大きな関りがありました


このインナーチェンジングセラピーに出会い、自分の病気と恋愛が、家族と大きな関りがあることを知りました。

初め知った時は、愕然としました。

だって、私の親は、素晴らしい人だと思っていたからです。

だから、全て私がいけないんだと、生まれてこなければ、よかったのだと思っていました。

 

でも、私が生まれてくることに、私が自分を責める必要はなかったんです。

両親にも良いところがあり、悪いところもある。

その2つがあって、人であり、そして、個性でもあるんです。

私は両親とたくさん向き合ってきました。

きっかけは両親だったかもしれない。

でも、今この時の人生を生きているのは、私たち自身です。

 

では、私の両親とはどんな人だったのか。

そして、私の本当の思いは何だったのか。

 

物を与えてくれる父親、父親を好きじゃない母親


私は先ほど、私の親は素晴らしい人だと言いました。

しかし、それは本当の思いを隠して、表面で自分を言い聞かせるような呪文でもあったんです。

 

私の家族は、父親、母親、私の3人家族です。

私は父親から褒められた記憶がありません。

テストでいい点数を取っても、

「本当に得意な人は、その点数を維持し続けられる」

そう言われ続けてきました。

とても厳しい父親でした。

ですが、私は父親を優しいと感じていました。

それは、欲しい物を与えてくれることでした。

欲しいと思ったものは、ほとんど手に入っていました。

私は、物は愛情だと思っていました。

だから、私のうつ病が酷い時、部屋の中は物で溢れていました。

ベッドでは寝ずに、床に毛布を敷いて、溢れた物の中毛布にくるまって寝ていたことをよく覚えています。

 

でも、最も大きかったのは、母親の存在でした。

私は物心ついた時から、母親から愛されてる感覚がありませんでした。

そして、私は小学3年生の頃には、家事も何もしない母親に対して、母親という存在が何なのか分からず、いてもいなくてもいいと思っていました。

いても分からないなら、いない方がいいと思い、その頃から父親には離婚してほしいと頼んでいたのを覚えています。

私の母親はよく、

「お父さんと本当は結婚したくなかった。本当は好きな彼がいて、その人結ばれたかった」

と言っていました。

だから、私はずっと思っていたんです。

私は愛されて生まれた訳じゃない。本当に好きな人とは結ばれない。

私は幸せになれないのだと。

 

でも、私は、母親から一番愛されたかったんです。

母親の手料理を食べたかった。

私の孤独感はここからでした。

私は愛情を手に入れるために、たくさん色々な方法で、色々な人から貰おうとしていました。

でも、私は受け取り方を知りませんでした。

だから、愛情が貯まらないし、与えることもできませんでした。

 

私はうつ病とどう付き合っていけばいいのだろう?

恋愛とは、結婚とは何なのか?

わからないまま過ごしていました。

 

それでも、答えは自分の中にありました


私は生きたい。

私は幸せになりたい。

人生って楽しいんだって思いたい。

 

それが私の、前に進みたい理由でした。

それは紛れもなく自分の中にあるものでした。

 

うつ病をどう治していくのかも、私自身が鍵だったんです。

私はゆっくりゆっくりですが、歩き続けました。

暗いトンネルの出口に向かって、歩き続けました。

 

恋愛ステップが道標


インナーチェンジングセラピーの中で、色々学んでいる中、ある勉強と出会いました。

それが恋愛ステップでした。

 

自分がどんな人を選んでいたのか。

自分の相手に求めるもの。

振る理由振られる理由。

(他にもたくさんあります)

 

そして、私の人生そのものが関わっていました。

これを学んだ時に、私は恋愛のカウンセラーになりたいんだ。

そう思ったんです。

私にとって恋愛は本当に大きな出来事でした。

だからこそ、恋愛で苦しんでる人がいるなら、手助けしたい。

 

一人で抱え込まないでいいんです。

 

私からあなたへ


ここまで読んでくださってありがとうございます。

 

最後になります。

 

一人で抱えてしまっているあなた。

その思い、気持ち、それはあなたにとってとても大事なものです。

嫌な思いや気持ちもあるかもしれません。

それをどうか切り捨てないでほしいと思っています。

 

私は一人でも多くの人をサポートしたいです。

諦めなければ変われます。

出口のないトンネルはないことを知りました。

それをあなたに伝えたいです。

一緒にその思いを軽くしませんか?

 

一人でも多くの人が笑って過ごせるように、私は全力でサポートさせていただきます。